
九州歴史研究会
日田;
坂本道烈と相撲の神がいる土地
日田は風土記の時代、天皇が「鏡のようだ」と称したように、盆地を囲むように川が流れている水運の町でした。平安時代は相撲の神と言われた日田永季(ひたながすえ)が治めていた土地と言われています。


日田氏は戦国時代に本家は子孫がおらずに大友氏から養子を迎え、日田氏の分家の財津氏たちがそれを支えますが、うまくおさまらず大友系日田氏は断絶。
財津氏を中心とした8人の領主が日田8郡老として半自治状態となります。
大分市から4つの山に阻まれた日田は地元人で治めた方が効率が良かったのでしょう。
1560年には周りも大友家の領地だったので日田は戦場から離れており、活躍した武将も書状に名が見えません。平和だったのでしょう。
ところが1578年に大友家が日向で島津軍に敗北すると福岡の秋月氏が反乱を起こし、日田は戦場の最前線となります。
今まで、書状で名前が出ることの少なかった日田武将ですが、針目山での戦闘を中心に二人の名前が挙がります。
それが坂本道烈と財津龍閑です
衰亡時の日田を支えた坂本道烈と財津龍閑
二人は日田武将のまとめ役として、秋月と戦いこれを撃退。一度も日田は占領されずに独立を守ります。
坂本道烈は1592年の高麗出兵にも参加して、日田衆ではなく大友義統の直参家臣としての待遇を受けており、この戦いでの功績が高く評価された事が伺えます。
なお、坂本氏の一部は江戸時代に豊臣秀吉家臣だった毛利氏の家臣となり、転封に伴って佐伯に移住します。
ここでも藩主から産着を下賜され厚遇されたようで、国木田独歩館という、独歩が下宿した家の家主である坂本氏は、家紋入りの陣笠や産着などを今も保管しています。
また、財津氏は今も日田に多く在住しており、歌手の財津和夫さんはこの財津氏の子孫と言われています。
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