
九州歴史研究会
豊後大野;
心やさしい風流人のいた地
豊後大野はその名の通り、大きな野が広がっている事からその名前が生まれたと言われています。
この大野地名は全国にあり「市の名前は重複してはいけない」という決まりのため豊後大野市に改名しました。

しゃくなげ祭りで有名な神角寺から朝倉文雄記念館に下り、さらに直進すると左手に「一万田館跡」の案内があります。
ここが大野郡の北部、鳥屋城主だった一万田氏の館跡です。
大友興廃記、という江戸時代初期でまだ戦国時代の人間が生きていた頃に豊後の話を採録した本によれば
10巻 大友宗麟公花見;雉の事 という話で
豊後大野郡鳥屋城主、一万田宗慶は鳥屋の麓の屋敷に普段は居住し、前代より馬場に色んな名花を集めたが、その中に珍しい黒染めの桜があった。
武勇の余日の慰めで、貴賎問わず集まり和歌の種としたり酒宴をした。
宗麟公は天正の初め、3月上旬にここを訪れ、花の木陰に仮屋をかけ2夜3日の酒宴をした。
と秀吉の大茶会のようなイベントを開催していた逸話があります。
娯楽の殆どない戦国時代で美しい花を見るのは貴賎問わず、ぜいたくなひと時だったと想像されます。
今でいうなら資産家が自宅の庭園やプールを皆のために開放したレベルの大盤振る舞いと言えるでしょう。
なお墨染の桜は、平安時代に古今集和歌集の藤原基経の死を悼み、上野峯
雄(かんつけのみねお)が伏見の桜を見て「深草の野辺の桜し心あらば今年ば
かりは墨染に咲け」と詠んだ歌が元ネタでしょう。
今回の絵は、珍しい色の桜でお茶を飲んでいる風流な一時を書きました。
このスタンプを使用するために風流で楽しそうな時間を作ってみるきっか
けになれば幸いです。
なお一万田宗慶は1587年に島津軍が攻めてきた際に、家督を譲ってい
た息子が敵に降伏したため、それを恥じて自刃したと言われています。
心やさしい風流人のとても悲しい最後を思うと、かつてにぎやかに花を見
た風景もさびしく感じます。
なお、この花見で、美味しい雉が取れたけど数が足りないので、きじの肉
と同じ白い豆腐を焼いた雉焼き豆腐という料理を振舞った話があります。
豆腐に塩を振って焼き、熱い燗酒をかけるそうです。
戦争なんかせずに、花の美しさを共有できるような時代が来るといいです
ね。
衰亡時の日田を支えた坂本道烈と財津龍閑
二人は日田武将のまとめ役として、秋月と戦いこれを撃退。一度も日田は占領されずに独立を守ります。
坂本道烈は1592年の高麗出兵にも参加して、日田衆ではなく大友義統の直参家臣としての待遇を受けており、この戦いでの功績が高く評価された事が伺えます。
なお、坂本氏の一部は江戸時代に豊臣秀吉家臣だった毛利氏の家臣となり、転封に伴って佐伯に移住します。
ここでも藩主から産着を下賜され厚遇されたようで、国木田独歩館という、独歩が下宿した家の家主である坂本氏は、家紋入りの陣笠や産着などを今も保管しています。
また、財津氏は今も日田に多く在住しており、歌手の財津和夫さんはこの財津氏の子孫と言われています。
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